ゆうれい読書通信

幻想文学、ミステリ、SFなど

ポール・オースター 幻影の書


ポール・オースター 幻影の書


 妻子を飛行機事故で失い、絶望に陥った私を立ち直らせたのはずっと以前に映画界から姿を消した無声映画の監督兼俳優のヘクター・マンだった。彼の映画に取り憑かれ、研究本を出版した私のもとに、死んだと思われていたそのヘクター・マンの妻から手紙が届く。
 久々のポール・オースター。書く/読む、喪失/再生という初期から変わらないテーマに何だか懐かしい気持ちになる。しかし初期作品のひりひりとした青臭さや閉じた感じは薄れ、読者に対して開かれた作品になっている様に感じた。色彩感覚と映像の描写の巧みさ、物語のエンジンと構造の端正さのバランスが保たれているところにも円熟味を感じる。とはいえ、よくできた作品ではあるしおもしろかったものの、ニューヨーク三部作や「最後の物たちの国で」などに比べると個人的にはあまり引っかかるものがなかったかもしれない。単純にオースターの描く喪失感にこっちの年齢が追いついてないのが原因と思われるが。

ラヴィ・ティドハー 完璧な夏の日(上・下)




ラヴィ・ティドハー 完璧な夏の日(上・下)


 第二次世界大戦前、突如現れた不老の超能力者達。彼らは超人と呼ばれ各国の軍部等に徴収されていた。その一人、かつて英国の情報部にいたフォッグは昔の相棒により元上司のもとへ呼びだされ、「夏の日」と呼ばれた少女をめぐる世界大戦当時の隠された過去を語らされる。
 2015年の本ベスト10冊にはいれなかったけれど、2015年最も印象的だった本はこれかもしれない。感情を揺さぶられるという点で。少し引いたところから見れば、超能力者という設定は一歩間違えば途端にチープになってしまうものだし、この作品も(意図的にしろそうでないにしろ)多少チープさは残っているし、キャラ付けも全体的には薄いように思う。SFとして何か新鮮さを感じたというわけでもないし。しかし最初から最後まで絶えずそこにある、ある特定の感情は私の個人的ドツボにはまり、読了直後はため息ばかりつくわ何を見ても切なくなるわ、という状況に陥った。最後の流れはほんとひきょうだと思います。いやまいりました。
 とまあ個人的には非常に感情面に訴える作品だったんだけど、ザッピングの多い形式、神でも常人でもなさそうな何やら謎めいた傍観者の視点の語りによって引き締められているところもいいですね。 他にも色々言いたいことはあるんだけれどネタバレやらグチやらになるのでひとまずここまでにしよう…。

2015年ベスト10冊(後半)

2015年ベスト10冊後半です。読んだ順。
前半:2015年ベスト10冊(前半) - ゆうれい読書通信




6 V・S・ラマチャンドラン「脳のなかの幽霊」

 幻肢痛からはじまり、様々な奇妙な症例から探る脳の不思議について。ずーっと読みたい本リストに突っ込んではいたのですがブラインド・サイトを読んでからようやく手を付ける気になりました。読んでよかった。私はついつい身体二元論で考えがちなんですが、実際私ってどこにいるのか何なのか、当然体から切り離して考えられるわけはないのだし、そもそも私ってのは絶対支配者なわけじゃないんだよなあと。


7 レイモンド・カーヴァー「ウルトラマリン」

 今年も何回か詩集に挑戦しては敗退し、というのをやりましたがこれはなんだか馴染んだので。形式的にも散文に近いですし。ちょっと落ちてる時期に読んだので余計しみたのかもしれません。絶望の合間の、永遠のようでいてつかの間の平穏がさあっと通り過ぎていく、それだけで何か満たされるような。


8 ルーシー・M・ボストン「海のたまご」

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 コーンウォールの海辺での夏休み、不思議なたまごを見つけた兄弟と海の交流。とにかく海の描写がいいので。ごくごくと読んじゃう。コーンウォール、検索するとビーチも多いみたいだし紺碧の海なんですよね。いいなあ。


9 スティーブン・ミルハウザーエドウィン・マルハウス」

 夭逝した天才少年作家の、その親友による伝記という形式の小説。ミルハウザーってこんな作品も書いてたんだと少し驚きました。美しいことは美しいんですが空恐ろしい鮮やかさで再現される子供時代。あと子供の奇っ怪な行動をよく捉えているというか覚えているなあと。彼らがまだ箍をはめようとしていない、極端に跳ねまわる心の動きと目眩く色と光が合わさり、ヴィヴィッドというよりニューロティックな色彩の世界が口を開けて待っています。


10 イアン・マクドナルドサイバラバード・デイズ」

 インドを舞台にした、人とジンとAIのSF連作短編集。最初は身近な、少年時代の憧れへの幻滅の話から始まるのですが、ぐんぐんとSFアクセルが踏み込まれ、最後には神話的壮大さを帯びてきます。雰囲気やテーマはぜんぜん違うのですがちょっとキース・ロバーツのパヴァーヌに似てるところを感じなくもないですね。ガジェットを盛り込み話を転がしていく上手さはさすが火星夜想曲の作者。

2015年ベスト10冊(前半)

 あけましておめでとうございます!今年もよろしくお願いいたします。去年は随分記事数が少なくなってしまったので今年はもうちょっと頑張りたい所存です。
 さて、2015に読んだ本の中から10冊、読んだ順での紹介です。まず前半。



1 エリザベス・ボウエン「ボウエン幻想短編集」

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 このごろ集中力の低下か本にのめりこむ、ということが少なくなったのですが、この本にはかなり入り込んだ気がします。幻想短編集とうたっていますが幻想以外の描写も魅力的なので幻想好きの方にもそれ以外の方にも。にじみ漏れる意識・無意識のエーテルに浸された世界は危うくも心惹かれます。


2 ジュリアン・グラック「アルゴールの城にて」

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 ブルターニュの森と海と古城を舞台に、筋書きとしては三人の男女の恋愛劇が展開される話なのですが、なにせ登場人物の会話は一切描かれないし恋といってもかなり宗教的な感情のように思われます。比喩を重ねた静かだけれどもとどまることを知らない文章は作品世界を表象と予感で塗り尽くし、読んでるこちらも作品世界の中に塗り込められてしまったかのような息苦しさと陶酔を覚えるほど。礼拝堂のシーンの美しさは類を見ないです。


3 ボルヘス「永遠の歴史」

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 ボルヘスってマッチョな面もあるし今まで好き!ってほどではなかったんですが、これはおもしろかったのと同時にちょっとボルヘスへの好感度が上がった本。時と永遠についての評論集のようなものですが、「原型とその反映」が共通主題で、ボルヘスの世界観というか創作への態度がすけて見えるように思います。


4 ジーン・ウルフ「ピース」

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 ジーン・ウルフの書く幻想文学ケルベロスやデス博士の様な華々しさではないですが、じんわり飲み込まれていく恐怖、作品のタイプとしては個人的にはこっちの方が好みですね。終始薄明かりの中にいるような。終わり方がとても好き。


5 フラン・オブライエン「スウィム・トゥー・バーズにて」

 まだ感想書いてなかったんですがおもしろかったです。作家の主人公が書いた小説の主人公がまた作家で、彼が作品の中でつくりだした登場人物たちが自分の意志で行動をはじめて…というメタな作品。この入れ子構造の中で、アイロニーと背中合わせのユーモア、俗っぽさと時折覗く哀愁、アイルランドの神話・民話のエピソードが、酔ったようなしかし生気のあるリズムで煮詰められていく豊穣さ。

ブライアン・エヴンソン 遁走状態


ブライアン・エヴンソン 遁走状態



 小さなつまづきから自我も体も世界もぼろぼろと崩れていく恐怖と魅惑に引きずり込まれる不条理ホラー短編集。姉妹で経験した出来事を上手く姉と共有できないまますれ違い続ける妹、前妻たちに追われ続ける男、舌が意思に反する単語をしゃべるようになった大学教授…。作中人物達が崩壊しながらも世界を手さぐりで取り戻そうとするその様子は切ないと同時にこっけいでもある。はじめはなにこれ辛い、と思いながら読んでたはずが、段々慣れてくるとむしろコメディ面が目につくようになってくる。彼らの世界はすでに残酷で不可解なものでしかないんだけれど、彼ら自身にはどこか子供みたいに楽天的で人懐いところがあるせいか、突き放されそうで突き放されない不思議な引力を持つ作品。グロいのはグロいけど私でも一応読める(ただし一部は斜め読みした)範囲だし初期作品に比べると暴力の描写は大分控えめになってるんだとか。しかし一体初期はどんなんだったんだ…。
 好きな話は残酷さとユーモアがひときわ際立つ「マダー・タング」、キャラ設定が色々と秀逸な「九十に九十」、表題作の「遁走状態」。

ウィリアム・アレグザンダー 仮面の街


ウィリアム・アレグザンダー 仮面の街


 魔女グラバの家で暮らしていた少年ロウニーはある日、街で禁止されている芝居を上演するゴブリンの一座に出会う。どうも彼らはロウニーの行方不明の兄のことを知っているらしい。一座に加わり魔女グラバから逃げまわるうちに、ロウニーは芝居に使われる仮面と街の秘密を知っていく。
 機械仕掛と魔法が混在する、スチームパンクな風味も感じるファンタジー。語り口は児童文学だけれど説明し過ぎないし、死の影がちらりとのぞくところ、物語の中心となる謎に文化人類学的なものがからんでいるところなど、大人になってから読んでも読み応えがあると思う。物語の鍵となるのは仮面、その魅惑と怖さが上手く織り交ぜられているなあ。舞台となるゾンベイ市も、雑然とした路地や巨大な橋とその上の時計塔、地下の駅に港と、どれも魅力的に描写されていて楽しい。表紙買いなのですがとてもよかった。完全には解決してない謎もある感じですが、それは姉妹編を読めばいいのかな。

ルーシー・M・ボストン 海のたまご


ルーシー・M・ボストン 海のたまご




 夏休み、コーンウォールの海辺にやってきたトビーとジョーの兄弟は、浜の漁師から不思議な石の卵を手に入れる。その卵を秘密のプールに入れておいた二人は、やがて子供のトリトンと出会い、交流を深めていく。
 児童文学というよりは散文詩のような、とても長い絵本のような。ストーリーよりも表現が主役の作品。海の見せる美しさ、親密さ、神秘、激情が五感を使って描写される。海はそこにあるだけでなんと素晴らしいことか。あまり海を目にする機会がない自分は水平線を見るだけでも何だかどきどきするんだけれど、そんな高揚を思い出させてくれる。とりわけクライマックスのアザラシ達の不思議な集会のシーンは美しいです。挿絵の版画や章の頭のうずまき貝のイラストも素敵。海が好きな人はぜひ。