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ゆうれい読書通信

幻想文学、ミステリ、SFなど

安部 公房  燃えつきた地図

安部 公房  燃えつきた地図


 失踪した男の調査を依頼された興信所の職員のぼく。男の妻である依頼人の妻からは確たる話を引き出せず、わずかな手がかりを追っていくも、見当違いの方向に引き回されるばかり。いつしかぼくはぼく自身のアイデンティティを失っていく。
 …期せずして前の「アムネジア」と似たようなテーマの話に。この手の話は失踪願望が満たされていいです。しかし安部公房を読むのは久々だけれど、今回はじめてその即物的な描写、というか視線の異様さが強烈に印象に残った。テーマが似ているというのもあり、どうしてもロブ=グリエの「消しゴム」(http://necoyu001.hatenadiary.jp/entry/2013/12/09/231531)を想起する。というかオマージュなのだろうか。世界を異物として見る視線の強烈な違和感と不穏さ。通常私達はある程度世界のことを記号的にとらえ、相対化した関係性の地図の中に自分を組み込んで生きているけれど、主人公のぼくはその地図をなくしてしまった。彼にとっての世界は自分と通いあうもののない、視線を突き通さない圧倒的な他者であり、それ故彼の世界への視線は手さぐりで執拗なものになる。そして、ニーチェじゃないけれど、彼が世界を見れば見る分世界も彼を見返しているのであり、世界から(異物として)見られているという感触がどうにも拭えない。しかも、この視線は衝突して反応を生むこともないのがいっそう孤独を深める。この辺は終盤の喫茶店でのシーンにも顕著だ。喫茶店の暗い窓ガラスの鏡面を通してぼくを観察する女、それに対抗して直接女を見つめるぼく。奇妙な視線のトライアングル。
 でも、「消しゴム」と違い「燃えつきた地図」には何がしかの救済がある。最後、何かに名前をつけるということは、ぼくは新しい地図を作り始めたということだと思いたい。ぼく、あるいは他の誰かもまた同じことを繰り返すのかもしれないけれど。

稲生 平太郎  アムネジア


稲生 平太郎  アムネジア



 1つの死亡記事に興味を持ったことから謎の巨大闇金融永久機関、かみのけ座、いつかのお茶会のチョコレート・ケーキ、殺人諸々が織りなす甘く残酷な非日常に絡め取られていく僕。読み進めるうちに自分の足元もぐらついていくような感覚は前作「アクアリウムの夜」以上で、本当に見事。記号が示すもの、名前が示すものが二重写しになりぼやけて崩壊していく世界、主人公が加速度的に記憶を失い登場人物の持つ物語や自分の記憶の中の物語に侵食されていく様は、こわいと同時に魅惑を覚える。まるで主人公自身が一冊の本に飲み込まれていくような。細部のディテールもぞくっとするような手触りがあって大変こわい。
 主人公の記憶の連続性が信頼出来ない上、この作品自体も物語として成立する・しないの境界線上にあり、パズルのピースから物語をつなげていこうと思えばできるだろうものの、その正当性は保証されない。「本当の物語は失われてしまった。あるいは最初から存在しなかった。」のだから。なので白黒はっきりつけたい人には大変おすすめできない作品にはなるのだけど、私はとても魅入られた。

多田 智満子  鏡のテオーリア

多田 智満子  鏡のテオーリア



 鏡をめぐる哲学エッセイ。古今東西の該博な知識をもとに、あくまでも軽やかに展開される文章の心地よさ。日本の宗教と鏡の縁の深さなんて、なぜか全く意識してなかったので新鮮だった。
 また、鏡がテーマということからイメージを呼び起こすところも多く、視覚的にもとても美しいエッセイ。水面の虚空に穴を穿つ釣り人、無限の摩尼宝珠がさらに互いを反射しあう無限の反復などのイメージは、鏡のくらりとするような一瞬の幻惑とその虚無を鮮やかに映しだしている。特に水鏡は筆者の好むところらしく、詩集「長い川のある国」でもそのイメージが印象的に使われていたことを思い出した。

ロード・ダンセイニ 中野 善夫訳  ウィスキー&ジョーキンズ

ロード・ダンセイニ 中野 善夫訳  ウィスキー&ジョーキンズ


 密林に潜む幻の獣、摩訶不思議な魔術、秘密の宝物、魔性の女性…しがない英国のビリヤード・クラブの名物、ウィスキーがあればいくらでも信じがたい驚異の物語を(あくまで実話として)語り出すジョーキンズの物語集。
 現代ファンタジーの源流とも言われるダンセイニ、代表作の「ペガーナの神々」や「エルフランドの王女」の香り高く目が眩むばかりに美しい幻想世界は確かに彼の真髄ではあるのですが、ファンタジーや翻訳小説にあまり馴染んでいない人にとっては戸惑うこともあるかもしれません。なので、ダンセイニを初めて読むならちょっととぼけた味のあるこのジョーキンズシリーズの方がいいのかなと思ったり。もともとダンセイニって作品世界を緻密に構成していく人というよりも神がかった魔法の語り部という印象なのですが、ジョーキンズシリーズは特にそれが前面に出ていて読んでいてとても楽しい。笑いどころもわかりやすいし。そしてこっち側よりの作品ではあるけれど、時に果てしなく遠いところまで連れて行ってくれる、あの魂持っていかれるようなトリップ感も仄見える。これでもっと世界の涯まで根こそぎ魂持って行かれたいと思われた方は河出文庫の方もおすすめ。
 人によって好きな話が色々違うみたいでおもしろいなあと思うのですが、ダンセイニらしい幻の都市の描写の美しさとオチに対する個人的共感から、「ジョーキンズ、馬を走らせる」が私は一番好きです。何かイギリス人らしさを感じてしまうコミカルな「流れよ涙」も好き。

ジッド 狭き門


ジッド 狭き門



 幼い頃から互いに運命の人と認識しあっていたジェロームと従姉妹のアリサ。しかし、ジェロームが求婚してもアリサは拒むばかりで、二人の距離はどんどん遠ざかっていく。アリサは互いが高みに進むためには一緒にいることはできないと考えていたのだった。神へといたる狭き門は、二人並んではくぐれない…
 正直このあらすじ、自分はとても読む気がそがれるんですが未読の方は一度騙されて読んでほしいと思います。できれば一気読みおすすめ。途中はいろいろつらいんだけど終盤、特にラストシーンは非の打ち所がない。自分は中盤あたりでああこれだから恋愛小説は、と放り出しかけたものの、アリサの思いの吐露がはじまるその後半から彼女の悲痛さに目が離せなくなった。そして最後、短いシーンなんだけども、その表現の無駄の無さ美しさ。言葉にしがたい思いが浮かんでは形をなくし滲んでいく。
 しかしこの作品、愛と信仰の対立の物語と表現されているものの、結局のところ問題となっていたのはジェロームへの愛そのものだけだったように思える。解説によるとアリサの信仰の苛酷さは正統派キリスト教から逸れている様でもあるし、彼女の信仰はジェロームへの愛の逃げ口に見えた。身に余る愛の強さ美しさにおびえもがく様子は、自己中心的な面もあるにせよ、どうしようもなく痛ましいと思う。

ポール・オースター 幻影の書


ポール・オースター 幻影の書


 妻子を飛行機事故で失い、絶望に陥った私を立ち直らせたのはずっと以前に映画界から姿を消した無声映画の監督兼俳優のヘクター・マンだった。彼の映画に取り憑かれ、研究本を出版した私のもとに、死んだと思われていたそのヘクター・マンの妻から手紙が届く。
 久々のポール・オースター。書く/読む、喪失/再生という初期から変わらないテーマに何だか懐かしい気持ちになる。しかし初期作品のひりひりとした青臭さや閉じた感じは薄れ、読者に対して開かれた作品になっている様に感じた。色彩感覚と映像の描写の巧みさ、物語のエンジンと構造の端正さのバランスが保たれているところにも円熟味を感じる。とはいえ、よくできた作品ではあるしおもしろかったものの、ニューヨーク三部作や「最後の物たちの国で」などに比べると個人的にはあまり引っかかるものがなかったかもしれない。単純にオースターの描く喪失感にこっちの年齢が追いついてないのが原因と思われるが。

ラヴィ・ティドハー 完璧な夏の日(上・下)




ラヴィ・ティドハー 完璧な夏の日(上・下)


 第二次世界大戦前、突如現れた不老の超能力者達。彼らは超人と呼ばれ各国の軍部等に徴収されていた。その一人、かつて英国の情報部にいたフォッグは昔の相棒により元上司のもとへ呼びだされ、「夏の日」と呼ばれた少女をめぐる世界大戦当時の隠された過去を語らされる。
 2015年の本ベスト10冊にはいれなかったけれど、2015年最も印象的だった本はこれかもしれない。感情を揺さぶられるという点で。少し引いたところから見れば、超能力者という設定は一歩間違えば途端にチープになってしまうものだし、この作品も(意図的にしろそうでないにしろ)多少チープさは残っているし、キャラ付けも全体的には薄いように思う。SFとして何か新鮮さを感じたというわけでもないし。しかし最初から最後まで絶えずそこにある、ある特定の感情は私の個人的ドツボにはまり、読了直後はため息ばかりつくわ何を見ても切なくなるわ、という状況に陥った。最後の流れはほんとひきょうだと思います。いやまいりました。
 とまあ個人的には非常に感情面に訴える作品だったんだけど、ザッピングの多い形式、神でも常人でもなさそうな何やら謎めいた傍観者の視点の語りによって引き締められているところもいいですね。 他にも色々言いたいことはあるんだけれどネタバレやらグチやらになるのでひとまずここまでにしよう…。