ゆうれい読書通信

幻想文学、ミステリ、SFなど

ヤン・ヴァイス著  深見 弾訳 迷宮1000


ヤン・ヴァイス著  深見 弾訳 迷宮1000



 赤い絨毯の流れ落ちる階段の上、奇妙な夢から目覚めた男は記憶を失っていた。1000のフロアを持つ巨大建築の迷宮の中、わずかな手がかりから彼は自分の使命であったらしいタマーラ姫の捜索を開始するが、謎の館の主オヒスファー・ミューラーが立ちふさがる。チェコの古典SF・ファンタジー。
 あらすじはめっぽう面白そうなこの作品、しかし実際ストーリーはちょっとちゃちいしオチは流石にこの時代でもそれはあかんのでは、という感じではあります。喧騒と堕落ばかりが満ち溢れるディストピアと化した迷宮内の描写は楽しいです。ゲームブック的という感想をちらほら見かけますが、アイデアを片っ端から詰め込んでくる割に会話の多さや章の繋げ方がテンポの良さを生んでいて、そこらへんのポップさにもよるのかなあと。想像してたのとはちょっと違うタイプの作品でしたが、慣れてくるとこのこてこて感にちょっと愛着が。

ミハル・アイヴァス著 阿部 賢一訳 黄金時代


ミハル・アイヴァス著 阿部 賢一訳 黄金時代


 前半は西洋文明とは全く異なる不思議な文化様式を持つ架空の島についての文化人類学的紀行文、後半はその島の唯一の芸術といえる「本」の一部の内容を記憶をもとに書き記したものという構成。流れ落ちる水の狭間に作られた垂直のヴェネツィアたる断崖の「上の町」、ヨーロッパ人達が数々の邸宅を建てたものの今は打ち捨てられている虚ろな港町「下の町」など、前半の島の描写は幻想的イメージにあふれていて好みです。ちょっと眠たいといえば眠たいですが悪くない眠たさだと思います。終わらない「本」の内容を一部記した後半は、螺旋状に物語が展開していきぐっと読みやすくはなるのだけれど、ちょっとパンチにかける印象。ダイオウイカのあれこれとか、現代が舞台のところとかは面白いのですが。私は短い話の方が好きなのでいかんせん長すぎた。構成とか語りをもっとこうなんとか…と思わんでもないのですがこの素朴さが魅力という気もするし。時間を気にせずゆったり読みたい。

きっとあなたは、あの本が好き。 / ステファン・グラビンスキ 芝田 文乃訳 動きの悪魔


きっとあなたは、あの本が好き。 都甲 幸治 , 武田 将明 , 藤井 光 , 藤野 可織 , 朝吹 真理子他


 春樹、アリス、ホームズなどキャッチーな切り口から、それぞれ担当の三人が連想から色々な本の話を展開していくブックガイド。本好きがわいわいしゃべっている、という位のフランクさで読みやすい。特に谷崎潤一郎の章の、サロメ痴人の愛あたりの女子会的盛り上がりが楽しかった。割と翻訳小説の紹介が多いのもうれしいところ。



ステファン・グラビンスキ 芝田 文乃訳 動きの悪魔


 機関車のデモニッシュな魅惑にあふれた鉄道怪奇短編集。強引に空間を押し開き、時として悲惨な事故を引き起こす人の手には負えないエネルギー、その圧倒的な質量、たしかにこれに魅入られたら戻ってくるのは難しいだろうな。筋としては割と古典的な怪奇ものだが、今なお読まれているのは、境界を超えて私達を連れ去っていくものへの畏怖が古びていないからだろうか。ミエヴィルが言及しているのはなるほどという感じ。ところどころ素朴さを感じないでもないけれど、ノスタルジックな味わいの一部として楽しめる範囲だと思います。

ウィリアム・サローヤン 柴田 元幸訳  僕の名はアラム


ウィリアム・サローヤン 柴田 元幸訳  僕の名はアラム



 アメリカの片田舎、アラムという名の9歳の男の子の周りで起こるユーモア溢れるあれこれのお話。フィクションともノンフィクションともつかない、古いけれども古びない、不思議な時間が流れる短編集です。主人公アラムも大概手を焼かされそうなお子さんだけれど、彼の一族も独特の誇りを持った少し変わった人びとであり、児童文学によく出てくる感じのだめなおじさんがいっぱい出てくるので特にそういうフェチの人にはとてもおすすめ。特に「ザクロの木」のおじさんは素晴らしい。
 お話の一つ一つは(いい意味で)あほらしい騒動ばっかりだけれども、世界が美しかった頃の陽の光や大地の温かさや草の香りや、そんなものを永遠に閉じ込めたかのようなまぶしさがあり、読んでいると自然と呼吸が楽になってくる。なおかつその美しさが全く鼻につかないのがまた得難いところ。

安部 公房  燃えつきた地図

安部 公房  燃えつきた地図


 失踪した男の調査を依頼された興信所の職員のぼく。男の妻である依頼人の妻からは確たる話を引き出せず、わずかな手がかりを追っていくも、見当違いの方向に引き回されるばかり。いつしかぼくはぼく自身のアイデンティティを失っていく。
 …期せずして前の「アムネジア」と似たようなテーマの話に。この手の話は失踪願望が満たされていいです。しかし安部公房を読むのは久々だけれど、今回はじめてその即物的な描写、というか視線の異様さが強烈に印象に残った。テーマが似ているというのもあり、どうしてもロブ=グリエの「消しゴム」(http://necoyu001.hatenadiary.jp/entry/2013/12/09/231531)を想起する。というかオマージュなのだろうか。世界を異物として見る視線の強烈な違和感と不穏さ。通常私達はある程度世界のことを記号的にとらえ、相対化した関係性の地図の中に自分を組み込んで生きているけれど、主人公のぼくはその地図をなくしてしまった。彼にとっての世界は自分と通いあうもののない、視線を突き通さない圧倒的な他者であり、それ故彼の世界への視線は手さぐりで執拗なものになる。そして、ニーチェじゃないけれど、彼が世界を見れば見る分世界も彼を見返しているのであり、世界から(異物として)見られているという感触がどうにも拭えない。しかも、この視線は衝突して反応を生むこともないのがいっそう孤独を深める。この辺は終盤の喫茶店でのシーンにも顕著だ。喫茶店の暗い窓ガラスの鏡面を通してぼくを観察する女、それに対抗して直接女を見つめるぼく。奇妙な視線のトライアングル。
 でも、「消しゴム」と違い「燃えつきた地図」には何がしかの救済がある。最後、何かに名前をつけるということは、ぼくは新しい地図を作り始めたということだと思いたい。ぼく、あるいは他の誰かもまた同じことを繰り返すのかもしれないけれど。

稲生 平太郎  アムネジア


稲生 平太郎  アムネジア



 1つの死亡記事に興味を持ったことから謎の巨大闇金融永久機関、かみのけ座、いつかのお茶会のチョコレート・ケーキ、殺人諸々が織りなす甘く残酷な非日常に絡め取られていく僕。読み進めるうちに自分の足元もぐらついていくような感覚は前作「アクアリウムの夜」以上で、本当に見事。記号が示すもの、名前が示すものが二重写しになりぼやけて崩壊していく世界、主人公が加速度的に記憶を失い登場人物の持つ物語や自分の記憶の中の物語に侵食されていく様は、こわいと同時に魅惑を覚える。まるで主人公自身が一冊の本に飲み込まれていくような。細部のディテールもぞくっとするような手触りがあって大変こわい。
 主人公の記憶の連続性が信頼出来ない上、この作品自体も物語として成立する・しないの境界線上にあり、パズルのピースから物語をつなげていこうと思えばできるだろうものの、その正当性は保証されない。「本当の物語は失われてしまった。あるいは最初から存在しなかった。」のだから。なので白黒はっきりつけたい人には大変おすすめできない作品にはなるのだけど、私はとても魅入られた。

多田 智満子  鏡のテオーリア

多田 智満子  鏡のテオーリア



 鏡をめぐる哲学エッセイ。古今東西の該博な知識をもとに、あくまでも軽やかに展開される文章の心地よさ。日本の宗教と鏡の縁の深さなんて、なぜか全く意識してなかったので新鮮だった。
 また、鏡がテーマということからイメージを呼び起こすところも多く、視覚的にもとても美しいエッセイ。水面の虚空に穴を穿つ釣り人、無限の摩尼宝珠がさらに互いを反射しあう無限の反復などのイメージは、鏡のくらりとするような一瞬の幻惑とその虚無を鮮やかに映しだしている。特に水鏡は筆者の好むところらしく、詩集「長い川のある国」でもそのイメージが印象的に使われていたことを思い出した。