ゆうれい読書通信

幻想文学、ミステリ、SFなど

高山 宏 殺す・集める・読む / 小栗 虫太郎 黒死館殺人事件

高山 宏 殺す・集める・読む


 ホームズ、チェスタトン、クリスティらの錚々たる作品に文化史的視点から新たな光をあてるミステリ論。たとえばホームズを世紀末的感性から見つめ直した時、彼らの華麗な冒険譚は死と倦怠の悪魔祓いの装置と化す。ホームズの謎解き自体は(一応)合理的なものでも、その背景は確かに実に世紀末的かつバロック。読む人が読むとあの作品がこんな顔を見せるのか、と感心しきりでした。文章も歯切れよくぐいぐい読んでしまう、さすがのおもしろさ。




小栗 虫太郎 黒死館殺人事件


 ボスフォラス以東にはただ一つしかない豪壮を極めたケルトルネサンス様式の城と言われる黒死館。その当主の自殺後、館の中で起きた奇怪な連続殺人事件に博学無比の探偵法水麟太郎が挑む。
 魅力的な舞台設定(当然隠し部屋とかもあります)、幼少期に海外から連れて来られて以降館の外には出たことのない門外不出のカルテットや当主が亡き妻に似せて作らせた自動人形といった実に怪しい登場人物(?)たち、と非常にわくわくするあらすじと道具立てながら三大奇書のうち読みにくさは随一と評判の作品。私も以前10p程挑戦して即座に諦め、読解力と根性の無さをまざまざと思い知らされた思い出があります。しかし上記の「殺す・集める・読む」の最終章が黒死館だったためネタバレを読む前に、と一念発起して掘り起こしてみたらこれが意外と読みやすい…こともなくやはり苦行でした。それもこれも九割五分探偵役の法水麟太郎氏のせいだと思いますね。自分自身の知識不足だの何だのは思いっきり棚に上げてますけども。事件自体はそこまでややこしいものでもないのに、彼がひたすらしゃべりまくるマニアック過ぎる薀蓄と(謎)理論に作中人物も読み手も振り回され、両者のはてなで埋め尽くされていく黒死館。本筋が薀蓄で押し流されていく様には諦めと切なさを感じます。最終的な解決(と言えるのか)もあれな感じですし、なかなかにアンチミステリ。終盤になって法水氏が追い詰められていくところでようやくテンションがあがりはじめたのですが、探偵役より事件自体を応援したくなるミステリもそうそうないでしょう。恐るべし。

レイナルド・アレナス著 安藤哲行訳 夜明け前のセレスティーノ


レイナルド・アレナス著 安藤哲行訳 夜明け前のセレスティーノ


 母は井戸に飛び込み、祖父は斧を振りかざし、いとこのセレスティーノは木という木に詩をきざむ。村からはのけものにされ、貧しさと憎しみが吹き荒れる閉じられた世界のまっただなかで語るのはまだ幼い少年の声、その内容は悲惨としか言い様がないのだが、そこにははっとするほどみずみずしい陶酔というか幸福感がある。それは作者の書く喜びが滲み出したものでもあるだろうし、子供がとりつかれたようにひたすらしゃべる時、「しゃべること」自体に見出しているだろう快感でもあるだろうし。自己と世界、現実と幻想がまだ分かたれていない夜明け前のリズムとリフレイン。魔術的なリズムの中で、ぼくも含めて家族は何度でも死に、何度でも生き返る。じいちゃんの斧の音が執拗に、運命的に響く。アチャスアチャスアチャス。
 いやはやすごい作品。読了後しばらく魂が抜けていた。3つめの最後までたどり着いても、結局最初いたところから前には一歩も進んでなくて、ぐるぐる高速でまわるダンスからはじき出されたかの様なさみしさと安堵が残る。

カルヴィーノ作 和田忠彦訳 パロマー

カルヴィーノ作 和田忠彦訳 パロマ


 波や女性の胸や星空や、様々なものを観察しては考察し自分と宇宙との関係を模索する中年男性パロマー氏。いわば彼の観察日記のような27の短篇がそれぞれの主題に応じて3つの番号を割り振られ系統立てて並べられていて、目次を見るだけでおっカルヴィーノっぽいな、とにやけてしまう。それぞれの事物についての彼の考察はごく生真面目で哲学的なもので、最初はとっつきづらい印象だけれど、何だかどこかずれているところに愛嬌と哀愁が。終盤までいくと、彼がどうしてここまで真面目に世界を観察するのかについても書かれるが、やっぱりそういうひとだよね…と切なくなった。自分もいくつになっても手さぐりなままなんだろうな。
 はじめヴァレリーのムッシュー・テストを思い起こしたけれど、パロマー氏は愛嬌と共感がある分あっちよりは読みやすい。というかテスト氏途中で放置したままなので再挑戦しなければ。

2016年ベスト10冊(後半)

(6)アンナ・カヴァン 鷲の巣


 満たされない日々を過ごし人生への絶望に陥りかけていた語り手のわたしは、過去に世話になっていた人物「管理者」が新聞に求人を出しているのを見かけ、そこに最後の希望をたくします。しかし、鷲の巣と呼ばれる管理者の謎めいた館にたどり着いたわたしを待っていたのは、管理者に会うこともできず仕事も与えられない空虚な日々でした。どこか異界めいた非現実的サンクチュアリである鷲の巣の情景や、現実と幻想の入り交じる「わたし」の認識レンズの歪みの描写の上手さはもちろん、カヴァンは作品がまるごと絶望の産物というか、絶望を一つの世界に昇華するその純度の高さに畏怖を感じます。美しいけれども美しいといっていいのかどうか。


(7)ウィリアム・サローヤン 僕の名はアラム


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 アメリカの片田舎、貧しいけれどもあたたかく誇り高い一族に生まれたアラムのおかしくも美しい少年時代。いとこがどこかからつれてきた美しい白馬の話だったり、のらくらもののおじさんのお目付け役として一緒に町に出稼ぎにいったり、他愛もないお話ばかりなのですが、読んでいてとても心地良いです。子供時代の感覚を呼び覚ます、世界への絶対的な肯定と信頼。世界はまだ生まれたばかりで、何もかもが新しくて、自分の思うまま行動することになんの躊躇いもない時代。たまに読んでいると呼吸が楽になる本というのがありますがまさにそんな一冊です。


(8)アーシュラ・K・ル=グウィン 闇の左手


 ル=グウィン自体は好きなのですが、傑作と名高いこの作品はジェンダーSFということで何となく敬遠していたのをとても反省しました。傑作でした。両性具有人の住む雪と氷の惑星「冬」に宇宙連合への参加を促すため派遣された使節ゲンリー・アイは、当初世話になっていたカルハイド王国の宰相エストラーベンが王の寵愛を失ったことを契機に、隣国オルゴレインも関わる権力闘争に巻き込まれていきます。ジャンルで言うと一応SFになるのでしょうが、それ以上に友情の話であり、愛の話です。私は基本人と人はつながらない(つながるという希望やつながっていると信じる瞬間は光ではあるけれど)というスタンスですが、この物語のなかで、「愛がそれ自体架け橋なのだ」と言われるとよろめきます。優れた冒険小説でもあり、広大な氷原を二人で踏破する終盤は本当に素晴らしい。


(9)カート・ヴォネガット・ジュニア タイタンの妖女


 「時間等曲率漏斗」に飛び込んだことにより時も場所も超えて偏在する波動的存在となったウィンストン・ナイルス・ラムフォードに人生を翻弄される大富豪マラカイ・コンスタントの馬鹿馬鹿しく悲惨な受難の物語。これまた何となく敬遠してた一冊です。そもそも何故かヴォネガットを読んだことがなかったという。なんでだろう。それはさておき、これもジャンルだとSFになるのでしょうがSFとして読むのはちょっと辛い気がします。シニカルなユーモアの下で混ざり合うニヒリズムヒューマニズム、ナンセンスと感傷の間に見え隠れする哀しい美しさ。読後感はちょっと説明し難いです。


(10)平出隆詩集(現代詩文庫)


 一応2016年も詩集を幾つか読みました。日本の現代詩は正直よく分からないんですが、よく分からないなりに一瞬火花がぱっと飛び散るような瞬間があり、もっとこの瞬間に出会えれば、捉えられればと思います。中でもこの人は本当に難解だったのですが、私の知っている日本語じゃない、何か違う生き物を見ているような、そんな驚きがありました。

2016年ベスト10冊(前半)


 今更感がありますが2016年読んだ本ベスト10冊です。読んだ順。


(1)R・A・ラファティ 第四の館

 

 『地球礁』『宇宙舟歌』に並ぶラファティの初期代表長篇だそうですが、この中だったら個人的にはこれが一番面白いと思います。「とってもいい目をしているがおつむが足りない」新聞記者フレッド・フォーリーがとある超自然的秘密結社に目をつけられたことから、同様の複数の団体がめぐらすオカルティック陰謀の世界に巻き込まれていく、というストーリーからしておもしろそうなのですが、さらにラファティ的はちゃめちゃっぷりと謎の熱さとユーモアがたっぷりまぶされていて絶品。


(2)サミュエル・ベケット ゴドーを待ちながら


 なかなかやってこないゴドーという男を待ち続ける話、という予備知識しかなかったのですがいざ読んでみるとこんなによく分からない作品だったとは。しかし分からないからといって退屈な作品というわけではなく、ゴドーを待ち続けている二人の浮浪者のこっけいで悲惨で奇妙なやりとりを読んでいると、切なさだとか虚しさだとか焦燥だとかが入り混じった言い知れぬ感慨が湧いてきます。


(3)マルグリット・ユルスナール 流れる水のように・火・東方綺譚・青の物語 (ユルスナール・セレクション)


 2016年一番印象に残った作家はユルスナールだと思います。以前に東方綺譚を読んだ時、すごく上手い作家だなあという印象はあったのですが、今回「火」で完全にぶちのめされた感がありますね。ユルスナールは無駄な肉の一切ないとても彫琢された文章を書くのですが、彼女自身の声は慎重に隠されているようでいて、彼女の貴族的冷たさ優雅さ、誇り高さ、内に燃えさかる火が確かに反映されているのに惹きつけられます。血の通う大理石のような。


(4)稲生 平太郎 アムネジア


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 ありふれた死亡記事に興味を持ったことから超自然的陰謀世界に巻き込まれ非日常に転落していく話…ってこれだけだと第四の館に似てるな…。作品の雰囲気自体は全く別物ですが。アムネジアというタイトルのとおり記憶喪失が絡み、主人公のアイデンティティが危機に陥っていくのですが、読んでるこちらの足元もぐらついて転落していくような感覚が怖いと同時にとても魅惑的。


(5)ジーン・ウルフ 新しい太陽のウールス


 古い太陽の衰えにより寒冷化が進むウールスという世界を舞台に、(当初は)拷問者のギルドに属し完全記憶能力を持っているという語り手セヴェリアンによって新しい太陽がもたらされるまでを描く長大なファンタジー/SFシリーズ「新しい太陽の書」最後の一冊。この巻単体というよりシリーズ読了記念として代表で一冊挙げたという感じです。長い道のりだった。達成感がすごい。しかしこれ流して一回読んだだけだと三割も読み込めてない感じがする。

パウル・シェーアバルト著 種村季弘訳 小遊星物語


パウル・シェーアバルト著 種村季弘訳 小遊星物語


 菫色の空に緑色の星と太陽が輝く、漏斗を二つはめ込んだ樽のような形をした小遊星パラス。そこには空を飛べるタコ型のようなそうでないような(吸盤付きの脚があるからタコ型を想像するというだけで、実際他の描写を読んでも全容はあまり想像がつかない)パラス人達が住んでいて、ユートピア的社会を形成していた。漏斗の中にはベルト道路があり、芸術家によって作られた夥しい灯台がきらめき、漏斗の底に貼られた皮膜は音楽を奏で…と不思議な世界が広がっていて、その奇想には目を瞠らんばかり。パラス人達は何不自由なく平和かつ幸福に暮らしている様に思えるのだが、指導者のうちの一人レザベンディオは星々の持つ二重構造(遊星の本体とその上空にある上部構造)に興味を示し、より偉大な存在への融合に焦がれている。このレザベンディオが主体となり、他の天体の住人クィッコー人も巻き込んで、上部構造を調査するための巨大な塔がパラス星に建てられることとなる。
 前半のパラス星の文明のあれこれやクィッコー人達との出会いと交流についてはいたってのどかな、メルヒェンらしいところがあるけれど、塔の建築が始まると次第に彼らの中でも軋轢が生じ、苦悩・苦痛がクローズアップされていく。のんきなユートピアかと見えたパラス星は、よく思い返してみれば、生殖行為が存在しないため新たなパラス人を増やすには鉱脈から種を掘り起こすしかない、からからに乾いた(パラス人は乾ききると死ぬ)不毛な星だ。高山宏が解説でこの女性性の欠落したパラス星の悲劇について言及していてとても参考になる。レザベンディオの上部構造への執着と全体との融合への渇望は危ういけれども切実なものであり、私だってそれに魅惑されるところは少なからずあるけれど、しかしどう受けとめたものだろう…。奇想に満ちたきらきらした建築SFと思っていたら、まさかこんなところまで運ばれるとは。
 解説を読むとほかにも様々な視点からの読解があってもう一度読み返したくなるし、思想云々抜きにしても、明滅する光と色、建築美、イメージだけでも非常に魅惑的な作品。

ヤン・ヴァイス著  深見 弾訳 迷宮1000


ヤン・ヴァイス著  深見 弾訳 迷宮1000



 赤い絨毯の流れ落ちる階段の上、奇妙な夢から目覚めた男は記憶を失っていた。1000のフロアを持つ巨大建築の迷宮の中、わずかな手がかりから彼は自分の使命であったらしいタマーラ姫の捜索を開始するが、謎の館の主オヒスファー・ミューラーが立ちふさがる。チェコの古典SF・ファンタジー。
 あらすじはめっぽう面白そうなこの作品、しかし実際ストーリーはちょっとちゃちいしオチは流石にこの時代でもそれはあかんのでは、という感じではあります。喧騒と堕落ばかりが満ち溢れるディストピアと化した迷宮内の描写は楽しいです。ゲームブック的という感想をちらほら見かけますが、アイデアを片っ端から詰め込んでくる割に会話の多さや章の繋げ方がテンポの良さを生んでいて、そこらへんのポップさにもよるのかなあと。想像してたのとはちょっと違うタイプの作品でしたが、慣れてくるとこのこてこて感にちょっと愛着が。