ゆうれい読書通信

幻想文学、ミステリ、SFなど

ジュール・シュペルヴィエル 海の上の少女



 不思議な光をたたえるシュペルヴィエルの短篇集。強いて言うなら童話に近い雰囲気の作品が多いが、その喪失感とさみしさは透明ではあるものの子どもが読むにはほろ苦い。
 シュペルヴィエルは二つの祖国、二つの家族の二重性を持っていた人物だけど、そうした所在のなさのようなものが作品にも漂っている気がして、そこに惹かれる。今にも空中でふっとはじけて霧散してしまいそうな。私は基本あまり再読しないけど、シュペルヴィエルの短編はよく読み返す。私にとってある種の理想の世界なのかもしれない。
 同じ作品をタイトルにした短篇集が古典新訳文庫からも出てるけど、こちらではそこに収録されてない後期の短編が読める。後期の作品は初期の作品の感傷が薄れ、ドライさが強く出ている感じ。訳は古典新訳より少しかためで、いいバランス。あと解説がいいです。

「われわれの言葉は、われわれ人間にとっては無限大とも言えるほどに拡がっている宇宙という外部をとり込みながら、こうしてわれわれ自身の内部にも意識という、意識下あるいは無意識に直接つながっている、無限の空間を開いているのではないか。
 シュペルヴィエルの物語の言葉はその詩同様、この空間の中から生まれてくる。そこは外部ほどに輪郭は定かではなく、微妙な対立と融合をはらみ、未分化の感情や意識は多義的な言葉を要求する。生の中に死が頭を出し、孤独の中にも愛がしみこんでいる。また、死ののちにも生が及び、愛のさ中にも孤独がもち来たらされる。こうしたことを詩はなんらかの方法である程度直接に表現しようとするわけだが、物語では、それが具体的な形姿をとって、その物語に固有の時間の中で表現されもする。」


海の上の少女、秣桶の牛と驢馬、セーヌから来た名なし嬢、ラニ、ヴァイオリンの声をした少女、ノアの方舟、年頃の娘、牛乳のお碗、蝋の市民たち、また会えた妻、埋葬の前、オルフェウス、エウロペの誘拐、へーパイトス、カストルとポリュデウケス、ケルベロス、トビトとトビア、あまさぎ、三匹の羊をつれた寡婦、この世の権勢家