ゆうれい読書通信

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ホルヘ・ルイス・ボルヘス 永遠の歴史


ホルヘ・ルイス・ボルヘス 永遠の歴史


 時と永遠についての評論と覚書。ボルヘスの諸短編に見られる共通主題についての論考であること、自分の興味範囲と少しテーマがかぶっていたこともあって、今まで読んだボルヘスの中では一番面白かったような気がする。…という割には例によって詳細は忘却の彼方なので、目次をとりあえず並べてみる。永遠の歴史、ケニング、隠喩、循環説、円環的時間、『千夜一夜』の翻訳者たち、覚書二篇(アル・ムウタスィムを求めて、誹謗の手口)。以下それぞれの章の覚書き。


 表題にもなっている「永遠の歴史」は、永遠という言葉の形象の歴史的変革をつづったもの。古代ギリシアプラトン的原型を収蔵する博物館としての永遠、神の属性の一つであり、唯名論的なキリスト教の永遠。
 「ケニング」というのはアイスランド詩の隠喩の技法で、例えば「鳥たちの家」は大気を意味するし、「潮の狼」は船を意味する。こういうケニングを被らないようにたくさん使うことがよい、とされていたそうで、実際使用した詩を見ると謎かけのような不思議な魅力がある。
「隠喩」はそのまま古今東西の典型的な隠喩の引用。死=夢とか、女=花とか。私はつらつらと並べられる引用にへー、とただ感心するだけで終わったが、これほんとに全部正しいのかしらん。
 「循環説」はニーチェ永劫回帰の話から。宇宙に存在する原子は有限なのだから、時間が無限である以上いつかは同じ組み合わせに回帰するという話だが、これに対してカントールの宇宙に存在する点の完全な無限性の主張が持ち出される。そしてニーチェ以前の同様な循環説の紹介など。円環的時間」もやはり永劫回帰の話の続き。
 『千夜一夜』の翻訳者たち、はそのまま千夜一夜の翻訳者三名の翻訳の文体などの比較、「誹謗の手口」もそのまま誹謗の類型をシニカルに論じたもの。「アル・ムウタスィムを求めて」はいかにもボルヘスなフィクション。


 ざっと書き出してみたけど、「文庫版あとがき」で触れられているように、「原型とその反映」(あるいは「一と多」)が共通主題になっている。「ケニング」や「隠喩」は最初毛色が違う章が混ざってるように見えたけれど、俯瞰すると底にある興味の方向は同じなんだなあ。永遠は単に時の集積の延長線上にある何かではないわけで、では空間、事物についてはどうかというと有限と無限、部分と全体がせめぎあい、時空は変奏し循環していく。プラトンの博物館的永遠を貧相といい、様々なヴァリアントを並べて迷宮を作りあげるボルヘスが私は好きです。