ゆうれい読書通信

幻想文学、ミステリ、SFなど

ミヒャエル・エンデ 自由の牢獄 (とマグリット展)

ミヒャエル・エンデ 自由の牢獄



 この前マグリット展を見に行って、今更ながらマグリットはとてもいいなあと思ったのと同時に、エンデの短編集「自由の牢獄」を連想した。そもそも私がシュルレアリスムを勉強したいと思っている(しているとは言ってない)のはミヒャエル・エンデが原因だったりする。エンデの作品とシュルレアリスムとは切り離せない関係にあるようなので。マグリット展を見に行った時も頭の片隅にエンデのことがあったせいで、「自由の入り口で」と題された絵を見た時、エンデの短編集「自由の牢獄」のうちの一話「ミスライムのカタコンベ」をぱっと思い出した。
 「自由の入り口で」はマグリットがよく使うモチーフの絵で三方の壁ができており、前方の壁に向かって大砲が置かれている。「ミスライムのカタコンベ」は閉じたカタコンベ内のディストピアじみた社会の中で、「外」のヴィジョンをかすかに持っている主人公が「外」への脱出を図ろうとする話。閉じた世界を壊す、という共通点はもちろん、両作品の「外」も同じ意味を持っている気がした。
 マグリットの外について。マグリット展を見ていて思ったのは、額縁であったり窓であったり開口部であったり、彼の作品には枠がたくさん出てくるということ。枠のこちら側はどこか薄暗い不気味な部屋であることが多く、逆に枠の向こう側には広々とした、一種の崇高さを感じさせる世界が広がっている。展示されていたコメントからしても、単純に捉えるとこれは自我の枠なのだと思われる。私というせまい枠からしか世界に触れられないもどかしさ。以前ほんのちょっぴりシュルレアリスムに触れた時の話からしても、シュルレアリスムは自我を超えた世界を見出そうとしている感じだったので。
 エンデの外は、ちょっと矛盾する言い方になるけど、この物質的世界に内在する精神世界、意味の世界と捉えられる。モモがマイスター・ホラの館で聴く天上の音楽であり、はてしない物語の生命の水の源泉であり、「私」が世界とのつながりを見出す源。一が全に回帰し、全が一を生み出す故郷だ。もっともミスライムのカタコンベの「外」には直接的にはそんな描写はないが、作品内での「外」がカタコンベ内の壁に絵として描かれることからして、そういう意味を持っている可能性は高いと思う。エンデにとって絵はこちら(物質世界)とあちら(意味世界)をつなぐ窓であるらしいので。ミンロウド坑の絵とか。自由の牢獄の最後の話「道しるべの伝説」の主人公ヒエロニムスの見出す、超自然的な門の向こうの「故郷」は確実にこれに該当する。
 つまりどちらの外も「私」を超えた、私が私の殻を失い全に溶ける、そういう世界なんだと思う。全き世界への憧憬(と幾ばくかのためらい)。ただ同時に、マグリットの絵(シュルレアリスムの絵)は見るものを私という個に強く立ち返らせるものでもある。「これは誰それの肖像画だ」「これは美しい風景を描いている」といった常識的文脈の見いだせない作品に触れた時、人はそれぞれ自分に即した文脈を(無自覚に)作り上げようとする。それが無意識に訴えかけるものならなおさら、作品と私はプライベートな、二重の意味で他者とは共有することのできない秘密の関係を結ぶことになり、その甘美さは子供時代への郷愁を誘う。それがシュルレアリスム作品を見た時に感じる、世界が今私一人に秘密を打ち明けようとしている、という甘い懐かしい感覚のもとなんじゃないだろうか。
 自由の牢獄の最初の話、「遠い旅路の目的地」の主人公シリルは故郷を知らず、世界と自分とがつながっているという秘密をどこにも見いだせないまま生きてきたけれど、とある不思議な光景を描いた絵を見てそこが自らの故郷だと確信し、実際にその場所を探し求める。彼はこの、世界と私のプライベートな秘密そのものに固執した。「道しるべの伝説」のヒエロニムスが故郷とするのが世界のつながりの源泉で、おまけにその故郷、もうひとつの世界への道を共有しようとしたのとは対照的に。ただ、この最初と最後の二話は同様の構造を持つと同時に対照的で、最初の話の発展形が最後の話とも取れる構造をしているけれど、私は前者の方につい共感してしまう。個人的には話としても前者の方がおもしろいと思うし。エンデには珍しく善人じゃない主人公だけど、作者の共感も感じられないわけではないような気がする。結局シリルはどこまでも自分の殻を崩すことはなく、世界とのつながりを見出しはしたもののおそらく永遠に世界に回帰することはないけれど、あの宙ぶらりんな結末は彼の生き方を否定するものには思えない。まあ自分自身、自我の殻を時々壊してしまいたいと思いつつ現実にはひたすら塗り固めている現況なので、シリルの結末だって悪くないじゃないか、と思いたいんだなあ。
 長々と書いたけど、ひたすら当たり前のことを書いているだけのような気もするし見当違いのことを書いている気もするという。エンデでシュルレアリスムといえば鏡のなかの鏡だけど、こちらもそのうち(自分の中での)決着をつけたいな。