ゆうれい読書通信

幻想文学、ミステリ、SFなど

アゴタ・クリストフ著 堀茂樹訳  悪童日記


悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

アゴタ・クリストフ著 堀茂樹訳  悪童日記


 傑作と聞きつつもなんやかやで後回しにしている作品はたくさんあるが、たいがいは実際に読むと確かに傑作でしたすみませんでしたとなるもので、この「悪童日記」もまさにそんな作品だった。これは傑作だ。今更私に言われるまでもないのだが。
 戦争による生活難から母に連れられ「大きな町」から「小さな町」のおばあちゃんの家に預けられた双子の男の子たち。働かざる者食うべからず、ということでどケチで口の悪いおばあちゃんのもとで彼らは仕事をし、その他生きるための奇妙な独自の練習を行い、下宿人や町の人達と交流する日々をノートに記す。その日記がこの作品という体裁だ。
 まず特異なのはその文体で、この日記自体が彼らの奇妙な練習の一つなのだが、彼らはそこに客観的な真実以外を書かないというルールを持ち込んだ。そのため、日記であるにもかかわらず彼らの感情・主観的意見は一切書かれない(彼らの行為や言葉からある程度のことは推し量れるのだが)。あまりにクリアなレンズでパンフォーカスに世界を見ている感覚。このレンズを通してみると、戦争という限界状態の中で起こる悲惨な出来事や生々しい欲望もある程度すんなりと飲み込めてしまう。はじめは正直この文体のおかげでちょっと助かったと思っていたけれど、これは恐ろしいことでもある。書くという行為は世界を読むという行為だということを思い出す。逆もまた。その点では、この日記は確かに生きるための練習なのかもしれない。
 しかし、じゃあ無味乾燥な文章かというと全くそんなこともなく、シニカルでブラックなユーモアがそこかしこにひそみ、簡素な描写から各キャラクターを多面的に彫り込む様は非常に鮮やか。特にアンファン・テリブルたる双子の強かな生き様は痛快ですらある。起きている出来事は悲惨なのに、読み物としてとてもおもしろい。後ろめたい位に。あっという間に読んでしまった。

M.バルガス=リョサ著 木村榮一訳 緑の家


M.バルガス=リョサ著 木村榮一訳 緑の家


 ペルーの密林と砂漠を舞台に、複数の物語が時系列もばらばらに目まぐるしく切り替わりながら縦横無尽に展開していく。ピウラの町の外れ、砂漠に建てられた娼家「緑の家」の興亡と元「緑の家」の主のその後、密林からシスター達の伝道所に連れてこられたインディオの娘の身の行方、かつては密林でインディオ達を統率し強盗団のボスとして略奪に明け暮れていたが今は病の身を船上に横たえる日本人の過去の回想、ピウラの町ののらくら者の番長達。どのピースをとっても豊穣で面白い。マジックのつかないリアリズムでもこの面白さ、ラテアメはすごいな…。
 登場人物の呼び方が時と場合によって変わる上、現在と過去の回想がシームレスに語られるので最初はちょっと読みづらいが、いったん慣れるとぐいぐい物語に引っ張られていく。文体自体は平明で会話文が多いし、むしろ乗ってくると読みやすい。上下二冊でおまけにそれぞれ結構な分厚さではあるが最後までだれることなく読まされた。読者に能動的な読み方を促すけれど、それが鼻につくこともなく、むしろ一緒にピースをはめていくのが楽しい作品。暴力と悲惨に溢れた物語ではあるし、読んでいて多々辛いところもあったけれど、その混沌を否定するのは難しい。根底にあるのは善悪含めた生への肯定なのだろう。

伊藤 計劃  ハーモニー


伊藤 計劃  ハーモニー


「大災禍」という世界的危機以降、人類は人命・健康を何よりも優先し病気のないユートピアを築き上げた。善意に溢れたというよりも善意しか許されない、個々人の生命は社会的リソースとして大事にされる社会で自殺を選んだ三人の少女。うち実際に死んだのは一人だけだったはずだった。生き残ったうちの一人、霧慧トァンは再度世界を襲う謎の危機に死んだはずの少女が絡んでいることに気づく。ユートピアの到達点のその向こうを描くSF。
 ようやく伊藤計劃を読んだけれども、これは読んでよかった。やっぱり意識がテーマとして絡んでくるSFは好き。意識の価値を問うという点ではブラインドサイトを思い出すけれど、ハーモニーの(物語的に)おもしろい点は人類社会の到達点の一つとして人類自身がこの問題を提示し選択するところだなあ。あとがきインタビューで本人も言っていた通り、ロジックをベースに色々乗せて作品を作っている感じで、全体に淡々とした印象がありするっと読んでしまいそうになるけれど、展開も結末もなかなかにドラスティックだ。読了後色々と思考がまとまらなかった。三人の互いへの思いも、考え出すときりがない。

フリオ・リャマサーレス著  木村 榮一訳 黄色い雨

フリオ・リャマサーレス著  木村 榮一訳 黄色い雨


 スペインの山奥の廃村アイニェーリェ村、かつての村人がみな逃げるように去った後もただひとり村にとどまった男の孤独な日々。飾らない静かな文章から滲み出すのは死と狂気の気配、狂気と言っても、何かが爆発し突き抜けてしまう類のものではなく、いつの間にか境界線を見失ってしまったという類のものだ。生者と死者、現実と記憶。死者はいつ死ぬのだろうか。短い断片を連ね、時系列を意識せず過去の回想が挿まれていく形式のせいもあってか、気がつけばこちらも亡霊のようにアイニェーリェ村をさまよっているような心地がしてくる。しかし実際壮絶な日々のはずだけれど、哀しみと静謐に洗われるとこうも美しくなるのか。
 「黄色い雨」だけだと孤独と静謐が強く印象に残るが、同時収録されている短篇「遮断機のない踏切」「不滅の小説」を読むとこれは執着の話でもあったんだなと思う。変わることのできない不器用な人達へ向けられた視線のそれとない優しさ。

高山 宏 殺す・集める・読む / 小栗 虫太郎 黒死館殺人事件

高山 宏 殺す・集める・読む


 ホームズ、チェスタトン、クリスティらの錚々たる作品に文化史的視点から新たな光をあてるミステリ論。たとえばホームズを世紀末的感性から見つめ直した時、彼らの華麗な冒険譚は死と倦怠の悪魔祓いの装置と化す。ホームズの謎解き自体は(一応)合理的なものでも、その背景は確かに実に世紀末的かつバロック。読む人が読むとあの作品がこんな顔を見せるのか、と感心しきりでした。文章も歯切れよくぐいぐい読んでしまう、さすがのおもしろさ。




小栗 虫太郎 黒死館殺人事件


 ボスフォラス以東にはただ一つしかない豪壮を極めたケルトルネサンス様式の城と言われる黒死館。その当主の自殺後、館の中で起きた奇怪な連続殺人事件に博学無比の探偵法水麟太郎が挑む。
 魅力的な舞台設定(当然隠し部屋とかもあります)、幼少期に海外から連れて来られて以降館の外には出たことのない門外不出のカルテットや当主が亡き妻に似せて作らせた自動人形といった実に怪しい登場人物(?)たち、と非常にわくわくするあらすじと道具立てながら三大奇書のうち読みにくさは随一と評判の作品。私も以前10p程挑戦して即座に諦め、読解力と根性の無さをまざまざと思い知らされた思い出があります。しかし上記の「殺す・集める・読む」の最終章が黒死館だったためネタバレを読む前に、と一念発起して掘り起こしてみたらこれが意外と読みやすい…こともなくやはり苦行でした。それもこれも九割五分探偵役の法水麟太郎氏のせいだと思いますね。自分自身の知識不足だの何だのは思いっきり棚に上げてますけども。事件自体はそこまでややこしいものでもないのに、彼がひたすらしゃべりまくるマニアック過ぎる薀蓄と(謎)理論に作中人物も読み手も振り回され、両者のはてなで埋め尽くされていく黒死館。本筋が薀蓄で押し流されていく様には諦めと切なさを感じます。最終的な解決(と言えるのか)もあれな感じですし、なかなかにアンチミステリ。終盤になって法水氏が追い詰められていくところでようやくテンションがあがりはじめたのですが、探偵役より事件自体を応援したくなるミステリもそうそうないでしょう。恐るべし。

レイナルド・アレナス著 安藤哲行訳 夜明け前のセレスティーノ


レイナルド・アレナス著 安藤哲行訳 夜明け前のセレスティーノ


 母は井戸に飛び込み、祖父は斧を振りかざし、いとこのセレスティーノは木という木に詩をきざむ。村からはのけものにされ、貧しさと憎しみが吹き荒れる閉じられた世界のまっただなかで語るのはまだ幼い少年の声、その内容は悲惨としか言い様がないのだが、そこにははっとするほどみずみずしい陶酔というか幸福感がある。それは作者の書く喜びが滲み出したものでもあるだろうし、子供がとりつかれたようにひたすらしゃべる時、「しゃべること」自体に見出しているだろう快感でもあるだろうし。自己と世界、現実と幻想がまだ分かたれていない夜明け前のリズムとリフレイン。魔術的なリズムの中で、ぼくも含めて家族は何度でも死に、何度でも生き返る。じいちゃんの斧の音が執拗に、運命的に響く。アチャスアチャスアチャス。
 いやはやすごい作品。読了後しばらく魂が抜けていた。3つめの最後までたどり着いても、結局最初いたところから前には一歩も進んでなくて、ぐるぐる高速でまわるダンスからはじき出されたかの様なさみしさと安堵が残る。

カルヴィーノ作 和田忠彦訳 パロマー

カルヴィーノ作 和田忠彦訳 パロマ


 波や女性の胸や星空や、様々なものを観察しては考察し自分と宇宙との関係を模索する中年男性パロマー氏。いわば彼の観察日記のような27の短篇がそれぞれの主題に応じて3つの番号を割り振られ系統立てて並べられていて、目次を見るだけでおっカルヴィーノっぽいな、とにやけてしまう。それぞれの事物についての彼の考察はごく生真面目で哲学的なもので、最初はとっつきづらい印象だけれど、何だかどこかずれているところに愛嬌と哀愁が。終盤までいくと、彼がどうしてここまで真面目に世界を観察するのかについても書かれるが、やっぱりそういうひとだよね…と切なくなった。自分もいくつになっても手さぐりなままなんだろうな。
 はじめヴァレリーのムッシュー・テストを思い起こしたけれど、パロマー氏は愛嬌と共感がある分あっちよりは読みやすい。というかテスト氏途中で放置したままなので再挑戦しなければ。