ゆうれい読書通信

幻想文学、ミステリ、SFなど

2016年ベスト10冊(前半)


 今更感がありますが2016年読んだ本ベスト10冊です。読んだ順。


(1)R・A・ラファティ 第四の館

 

 『地球礁』『宇宙舟歌』に並ぶラファティの初期代表長篇だそうですが、この中だったら個人的にはこれが一番面白いと思います。「とってもいい目をしているがおつむが足りない」新聞記者フレッド・フォーリーがとある超自然的秘密結社に目をつけられたことから、同様の複数の団体がめぐらすオカルティック陰謀の世界に巻き込まれていく、というストーリーからしておもしろそうなのですが、さらにラファティ的はちゃめちゃっぷりと謎の熱さとユーモアがたっぷりまぶされていて絶品。


(2)サミュエル・ベケット ゴドーを待ちながら


 なかなかやってこないゴドーという男を待ち続ける話、という予備知識しかなかったのですがいざ読んでみるとこんなによく分からない作品だったとは。しかし分からないからといって退屈な作品というわけではなく、ゴドーを待ち続けている二人の浮浪者のこっけいで悲惨で奇妙なやりとりを読んでいると、切なさだとか虚しさだとか焦燥だとかが入り混じった言い知れぬ感慨が湧いてきます。


(3)マルグリット・ユルスナール 流れる水のように・火・東方綺譚・青の物語 (ユルスナール・セレクション)


 2016年一番印象に残った作家はユルスナールだと思います。以前に東方綺譚を読んだ時、すごく上手い作家だなあという印象はあったのですが、今回「火」で完全にぶちのめされた感がありますね。ユルスナールは無駄な肉の一切ないとても彫琢された文章を書くのですが、彼女自身の声は慎重に隠されているようでいて、彼女の貴族的冷たさ優雅さ、誇り高さ、内に燃えさかる火が確かに反映されているのに惹きつけられます。血の通う大理石のような。


(4)稲生 平太郎 アムネジア


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 ありふれた死亡記事に興味を持ったことから超自然的陰謀世界に巻き込まれ非日常に転落していく話…ってこれだけだと第四の館に似てるな…。作品の雰囲気自体は全く別物ですが。アムネジアというタイトルのとおり記憶喪失が絡み、主人公のアイデンティティが危機に陥っていくのですが、読んでるこちらの足元もぐらついて転落していくような感覚が怖いと同時にとても魅惑的。


(5)ジーン・ウルフ 新しい太陽のウールス


 古い太陽の衰えにより寒冷化が進むウールスという世界を舞台に、(当初は)拷問者のギルドに属し完全記憶能力を持っているという語り手セヴェリアンによって新しい太陽がもたらされるまでを描く長大なファンタジー/SFシリーズ「新しい太陽の書」最後の一冊。この巻単体というよりシリーズ読了記念として代表で一冊挙げたという感じです。長い道のりだった。達成感がすごい。しかしこれ流して一回読んだだけだと三割も読み込めてない感じがする。

パウル・シェーアバルト著 種村季弘訳 小遊星物語


パウル・シェーアバルト著 種村季弘訳 小遊星物語


 菫色の空に緑色の星と太陽が輝く、漏斗を二つはめ込んだ樽のような形をした小遊星パラス。そこには空を飛べるタコ型のようなそうでないような(吸盤付きの脚があるからタコ型を想像するというだけで、実際他の描写を読んでも全容はあまり想像がつかない)パラス人達が住んでいて、ユートピア的社会を形成していた。漏斗の中にはベルト道路があり、芸術家によって作られた夥しい灯台がきらめき、漏斗の底に貼られた皮膜は音楽を奏で…と不思議な世界が広がっていて、その奇想には目を瞠らんばかり。パラス人達は何不自由なく平和かつ幸福に暮らしている様に思えるのだが、指導者のうちの一人レザベンディオは星々の持つ二重構造(遊星の本体とその上空にある上部構造)に興味を示し、より偉大な存在への融合に焦がれている。このレザベンディオが主体となり、他の天体の住人クィッコー人も巻き込んで、上部構造を調査するための巨大な塔がパラス星に建てられることとなる。
 前半のパラス星の文明のあれこれやクィッコー人達との出会いと交流についてはいたってのどかな、メルヒェンらしいところがあるけれど、塔の建築が始まると次第に彼らの中でも軋轢が生じ、苦悩・苦痛がクローズアップされていく。のんきなユートピアかと見えたパラス星は、よく思い返してみれば、生殖行為が存在しないため新たなパラス人を増やすには鉱脈から種を掘り起こすしかない、からからに乾いた(パラス人は乾ききると死ぬ)不毛な星だ。高山宏が解説でこの女性性の欠落したパラス星の悲劇について言及していてとても参考になる。レザベンディオの上部構造への執着と全体との融合への渇望は危ういけれども切実なものであり、私だってそれに魅惑されるところは少なからずあるけれど、しかしどう受けとめたものだろう…。奇想に満ちたきらきらした建築SFと思っていたら、まさかこんなところまで運ばれるとは。
 解説を読むとほかにも様々な視点からの読解があってもう一度読み返したくなるし、思想云々抜きにしても、明滅する光と色、建築美、イメージだけでも非常に魅惑的な作品。

ヤン・ヴァイス著  深見 弾訳 迷宮1000


ヤン・ヴァイス著  深見 弾訳 迷宮1000



 赤い絨毯の流れ落ちる階段の上、奇妙な夢から目覚めた男は記憶を失っていた。1000のフロアを持つ巨大建築の迷宮の中、わずかな手がかりから彼は自分の使命であったらしいタマーラ姫の捜索を開始するが、謎の館の主オヒスファー・ミューラーが立ちふさがる。チェコの古典SF・ファンタジー。
 あらすじはめっぽう面白そうなこの作品、しかし実際ストーリーはちょっとちゃちいしオチは流石にこの時代でもそれはあかんのでは、という感じではあります。喧騒と堕落ばかりが満ち溢れるディストピアと化した迷宮内の描写は楽しいです。ゲームブック的という感想をちらほら見かけますが、アイデアを片っ端から詰め込んでくる割に会話の多さや章の繋げ方がテンポの良さを生んでいて、そこらへんのポップさにもよるのかなあと。想像してたのとはちょっと違うタイプの作品でしたが、慣れてくるとこのこてこて感にちょっと愛着が。

ミハル・アイヴァス著 阿部 賢一訳 黄金時代


ミハル・アイヴァス著 阿部 賢一訳 黄金時代


 前半は西洋文明とは全く異なる不思議な文化様式を持つ架空の島についての文化人類学的紀行文、後半はその島の唯一の芸術といえる「本」の一部の内容を記憶をもとに書き記したものという構成。流れ落ちる水の狭間に作られた垂直のヴェネツィアたる断崖の「上の町」、ヨーロッパ人達が数々の邸宅を建てたものの今は打ち捨てられている虚ろな港町「下の町」など、前半の島の描写は幻想的イメージにあふれていて好みです。ちょっと眠たいといえば眠たいですが悪くない眠たさだと思います。終わらない「本」の内容を一部記した後半は、螺旋状に物語が展開していきぐっと読みやすくはなるのだけれど、ちょっとパンチにかける印象。ダイオウイカのあれこれとか、現代が舞台のところとかは面白いのですが。私は短い話の方が好きなのでいかんせん長すぎた。構成とか語りをもっとこうなんとか…と思わんでもないのですがこの素朴さが魅力という気もするし。時間を気にせずゆったり読みたい。

きっとあなたは、あの本が好き。 / ステファン・グラビンスキ 芝田 文乃訳 動きの悪魔


きっとあなたは、あの本が好き。 都甲 幸治 , 武田 将明 , 藤井 光 , 藤野 可織 , 朝吹 真理子他


 春樹、アリス、ホームズなどキャッチーな切り口から、それぞれ担当の三人が連想から色々な本の話を展開していくブックガイド。本好きがわいわいしゃべっている、という位のフランクさで読みやすい。特に谷崎潤一郎の章の、サロメ痴人の愛あたりの女子会的盛り上がりが楽しかった。割と翻訳小説の紹介が多いのもうれしいところ。



ステファン・グラビンスキ 芝田 文乃訳 動きの悪魔


 機関車のデモニッシュな魅惑にあふれた鉄道怪奇短編集。強引に空間を押し開き、時として悲惨な事故を引き起こす人の手には負えないエネルギー、その圧倒的な質量、たしかにこれに魅入られたら戻ってくるのは難しいだろうな。筋としては割と古典的な怪奇ものだが、今なお読まれているのは、境界を超えて私達を連れ去っていくものへの畏怖が古びていないからだろうか。ミエヴィルが言及しているのはなるほどという感じ。ところどころ素朴さを感じないでもないけれど、ノスタルジックな味わいの一部として楽しめる範囲だと思います。

ウィリアム・サローヤン 柴田 元幸訳  僕の名はアラム


ウィリアム・サローヤン 柴田 元幸訳  僕の名はアラム



 アメリカの片田舎、アラムという名の9歳の男の子の周りで起こるユーモア溢れるあれこれのお話。フィクションともノンフィクションともつかない、古いけれども古びない、不思議な時間が流れる短編集です。主人公アラムも大概手を焼かされそうなお子さんだけれど、彼の一族も独特の誇りを持った少し変わった人びとであり、児童文学によく出てくる感じのだめなおじさんがいっぱい出てくるので特にそういうフェチの人にはとてもおすすめ。特に「ザクロの木」のおじさんは素晴らしい。
 お話の一つ一つは(いい意味で)あほらしい騒動ばっかりだけれども、世界が美しかった頃の陽の光や大地の温かさや草の香りや、そんなものを永遠に閉じ込めたかのようなまぶしさがあり、読んでいると自然と呼吸が楽になってくる。なおかつその美しさが全く鼻につかないのがまた得難いところ。

安部 公房  燃えつきた地図

安部 公房  燃えつきた地図


 失踪した男の調査を依頼された興信所の職員のぼく。男の妻である依頼人の妻からは確たる話を引き出せず、わずかな手がかりを追っていくも、見当違いの方向に引き回されるばかり。いつしかぼくはぼく自身のアイデンティティを失っていく。
 …期せずして前の「アムネジア」と似たようなテーマの話に。この手の話は失踪願望が満たされていいです。しかし安部公房を読むのは久々だけれど、今回はじめてその即物的な描写、というか視線の異様さが強烈に印象に残った。テーマが似ているというのもあり、どうしてもロブ=グリエの「消しゴム」(http://necoyu001.hatenadiary.jp/entry/2013/12/09/231531)を想起する。というかオマージュなのだろうか。世界を異物として見る視線の強烈な違和感と不穏さ。通常私達はある程度世界のことを記号的にとらえ、相対化した関係性の地図の中に自分を組み込んで生きているけれど、主人公のぼくはその地図をなくしてしまった。彼にとっての世界は自分と通いあうもののない、視線を突き通さない圧倒的な他者であり、それ故彼の世界への視線は手さぐりで執拗なものになる。そして、ニーチェじゃないけれど、彼が世界を見れば見る分世界も彼を見返しているのであり、世界から(異物として)見られているという感触がどうにも拭えない。しかも、この視線は衝突して反応を生むこともないのがいっそう孤独を深める。この辺は終盤の喫茶店でのシーンにも顕著だ。喫茶店の暗い窓ガラスの鏡面を通してぼくを観察する女、それに対抗して直接女を見つめるぼく。奇妙な視線のトライアングル。
 でも、「消しゴム」と違い「燃えつきた地図」には何がしかの救済がある。最後、何かに名前をつけるということは、ぼくは新しい地図を作り始めたということだと思いたい。ぼく、あるいは他の誰かもまた同じことを繰り返すのかもしれないけれど。