ゆうれい読書通信

幻想文学、ミステリ、SFなど

イーヴリン・ウォー ピンフォールドの試練


イーヴリン・ウォー ピンフォールドの試練




 近頃物忘れなどが多くなり様子がおかしい、というので転地療養のため船に乗った小説家ピンフォールド。しかしどうも無線の配線がおかしいらしく、その船のそこかしこで聞こえる声が彼を悩ませる。この船には彼を憎みいたずらを仕掛けているものがいるらしい。大戦中に開発された謎の箱を使い彼を惑わしてくる見えざる敵との戦いが始まる…
 ざくっと紹介すると中年の小説家が船旅で幻聴に惑わされるブラックユーモア小説。しかし、読み始めた時期の個人的心身の調子の悪さもあり、気が狂うことへの恐怖やらピンフォールドの被害妄想っぷりというか自意識過剰っぷりやらが辛くてまさに試練って感じで、一回途中で放棄してしまった。少し余裕がありそうな時期に再開したら話が進むにつれて悪ノリ具合も増しむしろ安心して読めるように。えげつないブラックさではあるけれど、最後は割とあっさり収まるので、まぁユーモア小説の範疇なんだと思います。最初はびびりすぎてた模様。だってウォーって油断してたらぐっさぐっさ刺されそうだし…。身構えるじゃないですか。ユーモア小説だと思いこんで読んだら(私の防御力だと)痛手の一つや二つ負いかねない。今思うとこのへんの緊張感もこの小説の魅力のひとつだったりするのかも。再三書いてる気がするけれど、ウォーのバランス感覚には感心する。素知らぬ顔で読者を振り回し、引くところはあっさり引き、最後にはちゃんとニュートラルに戻す。
 で、作品の結末にちょっと安堵しつつ解説めくったらまた違う試練が始まってた。吉田健一の文章って慣れないと頭くらくらしてくるなぁ。

ジュリアン・グラック アルゴールの城にて / エリック・ファーユ わたしは灯台守

ジュリアン・グラック アルゴールの城にて


 広大な森と海に囲まれたブルターニュの古城で、三人の男女が展開する無言のオペラ劇。饒舌な文章は比喩を重ね、読者を予感と表象の迷宮に落としこむ。なんとまあ濃密な…くらくらする。悪酔いってこんな感じなんだろうか。経験したことないけれど。アルゴールの森の木々は確実にアヘンとかアルコールに類する何かを発散してると思う。
 比喩の奔流による惑わしだけではなく、何か視点に違和感がある、と思ってたけれど解説読んでちょっと納得。夢からの逃走劇、と読むと少ししっくりする。彼らの行動が世界によって定められたものとしか感じられないところだとか、淀んだ時の流れに抗うように打つ時計の音だとか。あと、水平と垂直のイメージの多用が気になった。色々考察したくなる作品だなぁ。



エリック・ファーユ わたしは灯台守


 表題作の中編と8つの短篇、どれも関連はないけれど主題はほぼ共通していて、孤独な人びとの不条理かつ奇妙な話ばかり。ぱっと連想されるのはカフカブッツァーティだけど、それらよりは少し青臭いだろうか。登場人物たちのみじめさと滑稽さ、そしてそう感じる自分への嫌悪感もあり、読後感は苦い…と思いきや妙な清々しさもある。不思議な感じ。彼らの様になりたいわけではないのだが、多分私は彼らがうらやましいんだろう。

 列車が走っている間に 六時十八分の嵐 国境 地獄の入口からの知らせ セイレーンの眠る浜辺 ノスタルジー売り 最後の 越冬館 わたしは灯台守

エリザベス・ボウエン ボウエン幻想短篇集

エリザベス・ボウエン ボウエン幻想短篇集



 アイルランド出身の作家、ボウエンの短篇のうち幻想味の強いものを集めた短篇集。ゴーストストーリーが多い。それも(雑なくくりで申し訳ないけれど)いわゆる怪奇系ゴーストというより心理系ゴースト。ボウエンの描くゴーストは、人びとの意識・無意識の磁場のひずみから生まれ、取り憑き、人びとを惑わせる。そこにはもちろん恐怖もあるけれど、それ以上に戸惑いと哀しみが残される。ゴーストの出現は、ひずみがある一線を越えてしまったことの現れであり、何かが決定的に変わってしまったことの証であり、彼らはもう戻れない。
 このひずみの気配や不穏な予感の描写、転回の鮮やかさ、どれをとっても舌を巻く上手さだけれど、ボウエンが素晴らしいのは、技術の裏に共感のまなざしとユーモアがひそかに息づいているところ。特に戦時中の物語には。ボウエンの筆は、戦時下の人びとの本人もすでに自覚していない抑圧の苦しみを、残酷なまでに正確かつ鋭利に映し出す(この短篇集が再録している別の短篇集の序文で、これらの短篇の中にあるのは全て真実とボウエン自身が言い切っている)。しかしそこにはそれとない共感があり、ブラックだけれどほんのり哀しみをたたえたユーモアがある。甘い人ではないし、実際文章も作品も鋭く磨きこまれているけれど、そこがとても好ましいと思う。
 特に好きな話は「林檎の木」、「あの薔薇を見てよ」、「幻のコー」、「闇の中の一日」。「林檎の木」「闇の中の一日」はどちらも少女の透明なナイーブさと、その少女の変化を促すおばさま方というかお姉さま方のたくましさの対比が好き。女性描写の素晴らしさは、マンスフィールド的と評されるのもむべなるかな。「幻のコー」、尋常ならざる満月に照らされた灯火管制中のロンドンで、逃げ場のない娘が思い描く詩にうたわれる幻の都市、これも形は違えどゴースト。(恋人アーサーはコーの扉を開く合言葉ではなかった、でも響き的にもその純潔・容姿の高貴さからしても友人コーリーの方が合うのでは?と一瞬思ったけれど野暮読みかな…)「あの薔薇を見てよ」は女性の持つ場へ誘い込み捕らえる力、みたいなのが個人的琴線に触れたので。怖さという点ではこれが個人的には一番。

2014年読んだ本ベスト10

 今年読んだ本のなかで特に強い印象をのこしたもの10冊。読んだ順で。一人一作しばり。まだ感想かいてないのはまたおいおい…。


ブルトンシュルレアリスム宣言・溶ける魚』



ブリヨン『幻影の城館』



タブッキ『夢のなかの夢』

アントニオ・タブッキ 夢のなかの夢 - ゆうれい読書通信



フラン・オブライエン『第三の警官』

フラン・オブライエン 第三の警官 - ゆうれい読書通信



ホッケンスミス『荒野のホームズ西へ行く』

スティーヴ・ホッケンスミス 荒野のホームズ / 荒野のホームズ、西へ行く - ゆうれい読書通信



マイリンク『ゴーレム』



ファウルズ『魔術師』


ジョン・ファウルズ 魔術師 上・下 - ゆうれい読書通信



ワッツ『ブラインド・サイト』


ピーター・ワッツ ブラインドサイト 上・下 - ゆうれい読書通信



リルケ『マルテの手記』



ダイベック『シカゴ育ち』

ジェイムス・クリュス ロブスター岩礁の燈台

ジェイムス・クリュス ロブスター岩礁の燈台



 「風のうしろの幸せの島」を探している若い作家である僕は、帆布工房のハウケ・ジーヴァース親方が何か知っているかもしれないと聞き、親方のところへ毎日通って話を聞かせてもらうことにする。
 親方のお話は、親方の兄の燈台守ヨハン、その友達の賢い鴎アレクサンドラ、爆撃から逃れてきたユーリエおばさんとポルターガイスト、意地悪だがお話に目がない水の精、といった面々が出てくるおとぎばなし風の語りでなされるけれど、僕は自分が実際に見知っている人びとが登場していることに気づく。このファンタジーと現実の折り合いのつけ方はこの作品の一つの特徴になっていて、重層的な枠組みをとる構造にもそれが現れている。作品内では「現実」にあたる、僕が親方から話をきく外枠では、親方のお話は一見ファンタジーだけれどあくまで現実をおとぎばなしのように脚色して語っているもの。そして親方のお話という内枠の中で登場人物たちがそれぞれに語るお話についても、「大事なことはそれが現実かどうかではなく美しいかどうか」というスタンスで語られる。内枠の中で語られる挿話はファンタジー(あるいは寓話)だけれど、その一つ一つの挿話のもたらすものを、二つの枠組を通して外枠の外の現実まで汲み上げるような構造になっている。エンデもそうだけれど、戦時を生きてきた児童文学作家は、現実/ファンタジーの関係にどうしても意識的になるのだろうか、と思ったり。その誠実さには胸を打たれるところがある。
 枠の中身に話を移すと、カラフルな挿話も楽しいけれど、燈台での日々の柔らかな描写が好きだなぁ。実際はかなり寒い気候のはずだけど、五月の風と光にさらされているかのような。あと、風のうしろというとジョージ・マクドナルドの北風のうしろの国を思い出すけれど、何か元ネタがあるのだろうか。

マーヴィン・ピーク タイタス・グローン―ゴーメンガースト三部作 1   アレクサンダー・レルネット=ホレーニア 両シチリア連隊 


マーヴィン・ピーク タイタス・グローン―ゴーメンガースト三部作 1 



 ゴーメンガースト三部作その1。連綿と続くしきたりと石の重みに閉じ込められた異形の城、ゴーメンガースト。七十七代当主タイタスの誕生により、泥のように淀んだ変わらぬ日常に変化が訪れようとしていた。
 舞台から登場人物から訳文から、とにかくアクの強いファンタジー。幻想というにはあまりの重量感だけれど、かといっていわゆるリアルさがあるわけではなく、悪夢がどこかの異界で肉を得てしまったかのような生々しい重み。これでは確かに解説の言うとおり、幻想への逃避ではなく幻想から逃避するほかない。この一部ではタイタスの誕生というゴーメンガースト新生の予感と城内での謀反がうごきはじめ、しきたりがほころびていくところまでが描かれるけれど、この巨大な石の迷宮とその中にうごめく異形の人びとをどう解体していくのか気になるところ。でもこれあと3巻読むの辛いな…。どこまでも石の通路や塔や見捨てられた部屋が連なる建物の描写は心ときめくのだが、人物描写のこってり具合が苦手で…。画家をしていたということもあり絵として印象的なシーンも多々あるし、一度読んだら忘れがたい作品ではある。





アレクサンダー・レルネット=ホレーニア 両シチリア連隊 



 1925年ウィーン、大戦時に両シチリア連隊を率いたロションヴィル大佐とその娘ガブリエーレが招かれた夜会で、元両シチリア連隊の将校でありガブリエーレに求婚していたエンゲルスハウゼンが殺されているのが発見された。その後、当時両シチリア連隊に所属していた将校たちは様々な形で死に見舞われる。幻想とミステリが絡みあった反ミステリ。
 話の本筋はミステリ、枝葉やキイワード(ドッペルゲンガー、自己のあやふやさ、夢もしくは幻視、運命論など)は幻想文学。幻想とミステリがくるくる絡まるその中心点にあるのは一種の諦観と虚無であり、ミステリとして決着はつくものの煙に巻かれるような感覚は、好きな人にはたまらないかと。私はもちろん好きです。特にドッペルゲンガーまわり。ちゃんと理屈はつくのだけれどそれでも拭い切れない不穏さあやうさ。カバー絵は作品の雰囲気をよくうつしだしていると思います。

トマス・フラナガン アデスタを吹く冷たい風 / アントニイ・バークリー 最上階の殺人


トマス・フラナガン アデスタを吹く冷たい風


 名作として名高い(らしい)ミステリ短篇集。らしいというのは私が寡聞にして今まで知らなかったからです。はい。
 うち四編はアデスタという独裁が敷かれた小国が舞台のシリーズもの。軍人として上辺は命令に従いつつも自分の良心・プライドを貫くテナント少佐の立ち回りがかっこいい。いやかっこいいという言葉ではちょっと軽いかな…。短篇で、心理描写も少ないけれど、少佐の生き様が見事に彫り込まれている。純然たるミステリなんだけれど、一番印象に残るのはその空気感というか、乾いた筆致とざらりと苦い舌触りだろうか。もちろんミステリとしても面白くて、チェスタトン的なアイロニーと反転が鮮やか。
 他に3編おさめられているノンシリーズものは、それぞれ異なる作風が楽しめる。「うまくいつたようだわね」のじらしの上手さにも感心するが、歴史ミステリの「玉を懐いて罪あり」がやっぱり面白いなぁ。




アントニイ・バークリー 最上階の殺人


 とあるマンションの最上階のフラットで老婦人が殺された。室内の荒らされ方、怪しい男の目撃情報等から警察はプロの物盗りの犯行と推定するが、小説家であり素人探偵でもあるロジャー・シェリンガムは納得がいかず、独自に調査を開始する。
 シェリンガムがシリーズ比でちゃんと探偵っぽい作品。実験や聞き込みなど、かなり力をいれて調査していて、成り行きで被害者の姪を秘書として雇い入れちゃう始末。この彼女がまた強烈なキャラクターの美女で、彼女とシェリンガムの掛け合いがおもしろい。この作品の魅力はまずなんといっても登場人物たちの掛け合いのユーモアですね。被害者の住むアパートの住人たちも個性が強く、彼らとの聞き込みもいきいきとしていて楽しい。
 容疑者たちのペースに流されがちなシェリンガムだけれど、ちゃんと推理はしていて、彼らしい想像力過多な、しかしストーリーとしてはしっくりする解答を出します。まぁ彼の推理が当たるかどうかは読んでからのお楽しみですが。ネタ自体は単純ながら意表をつくもので、上手いこと長編に仕立て上げているなぁと感心した。すっぱりとしたラストも素敵。