ゆうれい読書通信

幻想文学、ミステリ、SFなど

ヘレン・マクロイ 逃げる幻


ヘレン・マクロイ 逃げる幻




 休暇中にハイランド地方を訪れたダンバー大尉は、理由不明の家出を繰り返す少年について相談を受ける。しかもその少年は荒野の真ん中から突如消え失せたという。大尉は偶然家出しようとしている途中の少年と遭遇するが、その少年は異様におびえていた。その少年を観察しているうちに殺人事件が起きる。ウィリング博士シリーズの本格ミステリ
 この作品最大のポイントはハイランドを舞台にしていること、といっても過言ではないのでは。もともと情景描写が上手い作家という印象はあるけれど、この作品でもハイランドの荒野の空気感を存分に筆をふるって描き出してくれる。荒野の寂寞感と何かにおびえる少年がかもす不穏さ、そして大尉が何らかの密命を帯びているらしいこと、立ち込める霧のような冷たい緊張感がすばらしい。派手な作品ではないけれど一気読みしてしまった。

中村 融編  街角の書店 (18の奇妙な物語)

中村 融編  街角の書店 (18の奇妙な物語)



 ミステリ、SF、怪奇をベースにブラックユーモアを効かせて読後にいわく言いがたい奇妙な味わいを残す「奇妙な味」と呼ばれる類の短篇を集めたアンソロジー。この本は比較的怪奇より。奇妙な味の作品って、そのドライさビターさのおかげでいつ読んでも読みやすいというかニュートラルな状態に戻してくれるので好きです。お口直しにもおすすめ。
 収録作品は有名作家からマイナー作家までとりどりだけど、どの作品もそれぞれにおもしろくいい意味でとても安心して読める。並び順もよくて、最初はアクセルをひたすら踏み込み、あとは緩急ありカーブあり小休憩ありのドライブ、最後の最後で「あちら」に向かってアクセルぶっぱの爽快感。この並び順、解説読むまで気づいてなかったんだけど、実は超自然の要素の具合によってグラデーションになってるんだとか。
 どれも良かったけどお気に入りを挙げるならジョン・アンソニー・ウェスト「肥満翼賛クラブ」、ハーヴィー・ジェイコブズ「おもちゃ」、ロナルド・ダンカン「姉の夫」、ケイト・ウィルヘルム「遭遇」。「遭遇」のSF的解釈って何なのか気になる。


ジョン・アンソニー・ウェスト「肥満翼賛クラブ」
イーヴリン・ウォーディケンズを愛した男」
シャーリイ・ジャクスン「お告げ」
ジャック・ヴァンス「アルフレッドの方舟」
ハーヴィー・ジェイコブズ「おもちゃ」
ミルドレッド・クリンガーマン「赤い心臓と青い薔薇」
ロナルド・ダンカン「姉の夫」
ケイト・ウィルヘルム「遭遇」
カート・クラーク「ナックルズ」
テリー・カー「試金石」
チャド・オリヴァー「お隣の男の子」
フレドリック・ブラウン「古屋敷」
ジョン・スタインベック「M街七番地の出来事」
ロジャー・ゼラズニイ「ボルジアの手」
フリッツ・ライバー「アダムズ氏の邪悪の園」
ハリー・ハリスン「大瀑布」
ブリット・シュヴァイツァー「旅の途中で」
ネルスン・ボンド「街角の書店」

イーヴリン・ウォー ピンフォールドの試練


イーヴリン・ウォー ピンフォールドの試練




 近頃物忘れなどが多くなり様子がおかしい、というので転地療養のため船に乗った小説家ピンフォールド。しかしどうも無線の配線がおかしいらしく、その船のそこかしこで聞こえる声が彼を悩ませる。この船には彼を憎みいたずらを仕掛けているものがいるらしい。大戦中に開発された謎の箱を使い彼を惑わしてくる見えざる敵との戦いが始まる…
 ざくっと紹介すると中年の小説家が船旅で幻聴に惑わされるブラックユーモア小説。しかし、読み始めた時期の個人的心身の調子の悪さもあり、気が狂うことへの恐怖やらピンフォールドの被害妄想っぷりというか自意識過剰っぷりやらが辛くてまさに試練って感じで、一回途中で放棄してしまった。少し余裕がありそうな時期に再開したら話が進むにつれて悪ノリ具合も増しむしろ安心して読めるように。えげつないブラックさではあるけれど、最後は割とあっさり収まるので、まぁユーモア小説の範疇なんだと思います。最初はびびりすぎてた模様。だってウォーって油断してたらぐっさぐっさ刺されそうだし…。身構えるじゃないですか。ユーモア小説だと思いこんで読んだら(私の防御力だと)痛手の一つや二つ負いかねない。今思うとこのへんの緊張感もこの小説の魅力のひとつだったりするのかも。再三書いてる気がするけれど、ウォーのバランス感覚には感心する。素知らぬ顔で読者を振り回し、引くところはあっさり引き、最後にはちゃんとニュートラルに戻す。
 で、作品の結末にちょっと安堵しつつ解説めくったらまた違う試練が始まってた。吉田健一の文章って慣れないと頭くらくらしてくるなぁ。

ジュリアン・グラック アルゴールの城にて / エリック・ファーユ わたしは灯台守

ジュリアン・グラック アルゴールの城にて


 広大な森と海に囲まれたブルターニュの古城で、三人の男女が展開する無言のオペラ劇。饒舌な文章は比喩を重ね、読者を予感と表象の迷宮に落としこむ。なんとまあ濃密な…くらくらする。悪酔いってこんな感じなんだろうか。経験したことないけれど。アルゴールの森の木々は確実にアヘンとかアルコールに類する何かを発散してると思う。
 比喩の奔流による惑わしだけではなく、何か視点に違和感がある、と思ってたけれど解説読んでちょっと納得。夢からの逃走劇、と読むと少ししっくりする。彼らの行動が世界によって定められたものとしか感じられないところだとか、淀んだ時の流れに抗うように打つ時計の音だとか。あと、水平と垂直のイメージの多用が気になった。色々考察したくなる作品だなぁ。



エリック・ファーユ わたしは灯台守


 表題作の中編と8つの短篇、どれも関連はないけれど主題はほぼ共通していて、孤独な人びとの不条理かつ奇妙な話ばかり。ぱっと連想されるのはカフカブッツァーティだけど、それらよりは少し青臭いだろうか。登場人物たちのみじめさと滑稽さ、そしてそう感じる自分への嫌悪感もあり、読後感は苦い…と思いきや妙な清々しさもある。不思議な感じ。彼らの様になりたいわけではないのだが、多分私は彼らがうらやましいんだろう。

 列車が走っている間に 六時十八分の嵐 国境 地獄の入口からの知らせ セイレーンの眠る浜辺 ノスタルジー売り 最後の 越冬館 わたしは灯台守

エリザベス・ボウエン ボウエン幻想短篇集

エリザベス・ボウエン ボウエン幻想短篇集



 アイルランド出身の作家、ボウエンの短篇のうち幻想味の強いものを集めた短篇集。ゴーストストーリーが多い。それも(雑なくくりで申し訳ないけれど)いわゆる怪奇系ゴーストというより心理系ゴースト。ボウエンの描くゴーストは、人びとの意識・無意識の磁場のひずみから生まれ、取り憑き、人びとを惑わせる。そこにはもちろん恐怖もあるけれど、それ以上に戸惑いと哀しみが残される。ゴーストの出現は、ひずみがある一線を越えてしまったことの現れであり、何かが決定的に変わってしまったことの証であり、彼らはもう戻れない。
 このひずみの気配や不穏な予感の描写、転回の鮮やかさ、どれをとっても舌を巻く上手さだけれど、ボウエンが素晴らしいのは、技術の裏に共感のまなざしとユーモアがひそかに息づいているところ。特に戦時中の物語には。ボウエンの筆は、戦時下の人びとの本人もすでに自覚していない抑圧の苦しみを、残酷なまでに正確かつ鋭利に映し出す(この短篇集が再録している別の短篇集の序文で、これらの短篇の中にあるのは全て真実とボウエン自身が言い切っている)。しかしそこにはそれとない共感があり、ブラックだけれどほんのり哀しみをたたえたユーモアがある。甘い人ではないし、実際文章も作品も鋭く磨きこまれているけれど、そこがとても好ましいと思う。
 特に好きな話は「林檎の木」、「あの薔薇を見てよ」、「幻のコー」、「闇の中の一日」。「林檎の木」「闇の中の一日」はどちらも少女の透明なナイーブさと、その少女の変化を促すおばさま方というかお姉さま方のたくましさの対比が好き。女性描写の素晴らしさは、マンスフィールド的と評されるのもむべなるかな。「幻のコー」、尋常ならざる満月に照らされた灯火管制中のロンドンで、逃げ場のない娘が思い描く詩にうたわれる幻の都市、これも形は違えどゴースト。(恋人アーサーはコーの扉を開く合言葉ではなかった、でも響き的にもその純潔・容姿の高貴さからしても友人コーリーの方が合うのでは?と一瞬思ったけれど野暮読みかな…)「あの薔薇を見てよ」は女性の持つ場へ誘い込み捕らえる力、みたいなのが個人的琴線に触れたので。怖さという点ではこれが個人的には一番。

2014年読んだ本ベスト10

 今年読んだ本のなかで特に強い印象をのこしたもの10冊。読んだ順で。一人一作しばり。まだ感想かいてないのはまたおいおい…。


ブルトンシュルレアリスム宣言・溶ける魚』



ブリヨン『幻影の城館』



タブッキ『夢のなかの夢』

アントニオ・タブッキ 夢のなかの夢 - ゆうれい読書通信



フラン・オブライエン『第三の警官』

フラン・オブライエン 第三の警官 - ゆうれい読書通信



ホッケンスミス『荒野のホームズ西へ行く』

スティーヴ・ホッケンスミス 荒野のホームズ / 荒野のホームズ、西へ行く - ゆうれい読書通信



マイリンク『ゴーレム』



ファウルズ『魔術師』


ジョン・ファウルズ 魔術師 上・下 - ゆうれい読書通信



ワッツ『ブラインド・サイト』


ピーター・ワッツ ブラインドサイト 上・下 - ゆうれい読書通信



リルケ『マルテの手記』



ダイベック『シカゴ育ち』

ジェイムス・クリュス ロブスター岩礁の燈台

ジェイムス・クリュス ロブスター岩礁の燈台



 「風のうしろの幸せの島」を探している若い作家である僕は、帆布工房のハウケ・ジーヴァース親方が何か知っているかもしれないと聞き、親方のところへ毎日通って話を聞かせてもらうことにする。
 親方のお話は、親方の兄の燈台守ヨハン、その友達の賢い鴎アレクサンドラ、爆撃から逃れてきたユーリエおばさんとポルターガイスト、意地悪だがお話に目がない水の精、といった面々が出てくるおとぎばなし風の語りでなされるけれど、僕は自分が実際に見知っている人びとが登場していることに気づく。このファンタジーと現実の折り合いのつけ方はこの作品の一つの特徴になっていて、重層的な枠組みをとる構造にもそれが現れている。作品内では「現実」にあたる、僕が親方から話をきく外枠では、親方のお話は一見ファンタジーだけれどあくまで現実をおとぎばなしのように脚色して語っているもの。そして親方のお話という内枠の中で登場人物たちがそれぞれに語るお話についても、「大事なことはそれが現実かどうかではなく美しいかどうか」というスタンスで語られる。内枠の中で語られる挿話はファンタジー(あるいは寓話)だけれど、その一つ一つの挿話のもたらすものを、二つの枠組を通して外枠の外の現実まで汲み上げるような構造になっている。エンデもそうだけれど、戦時を生きてきた児童文学作家は、現実/ファンタジーの関係にどうしても意識的になるのだろうか、と思ったり。その誠実さには胸を打たれるところがある。
 枠の中身に話を移すと、カラフルな挿話も楽しいけれど、燈台での日々の柔らかな描写が好きだなぁ。実際はかなり寒い気候のはずだけど、五月の風と光にさらされているかのような。あと、風のうしろというとジョージ・マクドナルドの北風のうしろの国を思い出すけれど、何か元ネタがあるのだろうか。